「長島興業株式会社」へ商号変更、
民需会社として再出発。
資本金50万円で再出発。仕事の少ない復興期、手持ちの木材を戦災者用の応急簡易住宅へ回し、代々木の米軍人宿舎用木材を鹿島組へ納入して、社員の暮らしを支えた。
1946 – 1972
焼け跡から、もう一度立った26年。
特需より信用を選び、社員の机から5つの信條が生まれた。
第二章 本編映像
近日公開
焼け跡から、もう一度立った26年。
特需より信用を選び、社員の机から5つの信條が生まれた。
1972年12月4日、創業者は静かに筆を置く。
昭和二十一年 春
恵比寿の焼け跡に バラック一棟
資本金五十万円 社員三名
長島興業株式会社 ここに再出発
手持ちの木材を 復興へ
戦災者の住宅へ 米軍宿舎へ
昭和二十四年 長野・松本へ
関東を越え 地方へと足を伸ばす
昭和二十五年 朝鮮動乱
戦時特需の誘いが 幾度も来た
だが國治は 手を出さなかった
「金儲けだけでは ない」
信用第一の道を 貫いた
昭和二十七年 七月十一日
『長島梱包株式会社』 現商号となる
昭和二十九年 東京都知事賞
昭和三十一年 通商産業大臣賞
昭和三十六年 戸塚工場 開設
日立工場の門前で 半世紀の縁を結ぶ
昭和三十八年・四十二年
本社が 二度 焼けた
だが翌日には 仮社屋で仕事は続き
木造から 鉄筋へと建て替えた
昭和四十四年
社員の机から 言葉が集まり
幹部の手で 五行に束ねられた
5つの信條
同年三月 國治 藍綬褒章を受章
昭和四十七年 十二月四日
創業者 長島國治 永眠 享年六十九
同月 長島子之吉 社長就任
だが 遺されたのは 空白ではない
焼け跡のバラックは 鉄筋四階建ての本社へ
焼け跡から、二十六年
復興は、たしかに成長になった
国家の動乱と高度経済成長の渦中で、長島梱包が選んだ道。特需より信用、量より質、そして言葉。すべての判断の根拠が、ここにある。
資本金50万円で再出発。仕事の少ない復興期、手持ちの木材を戦災者用の応急簡易住宅へ回し、代々木の米軍人宿舎用木材を鹿島組へ納入して、社員の暮らしを支えた。
松本市出川町888番地。宮田製作所からの要請で開設。後に富士電機松本工場の主要梱包拠点となり、長島梱包の地方展開の原点となる。
梱包業で日本最初のJIS表示許可工場。日立戸塚工場から優良下請表彰。朝鮮動乱特需には直接手を出さず、「特需より信用」を貫いて得意先を一社も失わなかった。
資本金を200万円に増額し、長國木材株式会社を資本金100万円で設立。梱包の最重要資材である木材を、グループとして自社で押さえる経営判断。後の多角化の原点。
1954年の東京都知事賞(安井誠一郎都知事)に続く快挙。「輸出梱包」という名前のない技術が、国家レベルの賞で評価された瞬間。
日立製作所戸塚工場の門前町に梱包工場・倉庫・寮を新設。大型電機・重電機・輸出向けプラント梱包の本拠地となる。後に日立のクロスバー交換機は世界15カ国へ──日本の重電が、長島の木箱に納まって海を渡った。
1963年3月、本社工場が不審火で約1/3焼失。隣接地に仮社屋を建て、その日のうちに業務を再開した。1967年5月、二度目の不審火で約2/3焼失。資本金を1500万円から2000万円に増額し、鉄筋4階建ての新本社ビル建設へ向かう。二度焼けて、二度立った。
10月、東日本輸出梱包工業組合が設立され、長島國治が初代理事長に就任。同じ年、日立のベネズエラ向けクロスバー交換機C-22型 第1号機の輸出梱包に成功。1969年の藍綬褒章の「永年業界団体の指導的地位」評価の根拠となる。
全社員から提案を募り、経営幹部による審査で「信條」5行が制定。同年3月29日、佐藤栄作内閣総理大臣から長島國治が藍綬褒章を受章。
1972年12月4日、長島國治が永眠、享年69歳。同月24日、田中角榮内閣総理大臣により従六位勲五等瑞宝章を授与。その月のうちに長島子之吉(41歳)が代表取締役社長に就任。残されたのは、5つの言葉と若い社長だった。
1969年。創業から43年が経った長島梱包に、全社員から信條案の紙片が集まりはじめた。「これだけは大事にしたい」という、1人1行の言葉。
経営幹部による審査がそれを磨き、五行に束ねた。同じ年の3月29日、創業者・長島國治は佐藤栄作内閣総理大臣から藍綬褒章を受章する。言葉と賞は、同じ年に生まれた。
ある朝、机に、社員から集まった無数の紙片が積まれた。
「これだけは大事にしたい」──ひとり一行ずつ書かれた言葉が、幹部審査で五行に束ねられていく。
1969年、社員ひとりひとりの机から集まった紙片。
クリックして、5つの信條が「束ねられる」瞬間を体験してください。
1969年に定めた5つの信條は、いまも工場の入口に貼られ、朝礼で唱えられ、日々の判断の基準として生きている。5つの信條それぞれに、現場で働く社員の声を3つずつ重ねた。
プロフェッショナルとしてベストの仕事をし、安心・安全なサービスを提供する。
— 3人の現場が語る「最後の1個に至るまでの集中」。
誰も見ていなくても、
写真は撮る。
出荷が立て込む月初に、自動車プレス金型でわずか1ミリの寸法不適合を見つけたことがありました。そのまま船に乗っていたら、海の向こうの組立ラインが半日止まっていたかもしれない。気づいた以上は出せません。深夜まで再検査と代替の段取りをして、翌朝の便で出し直しました。帰り道はくたくたでしたが、不思議と足取りは軽かったです。
手応えって、実は「何も起きないこと」なんです。問い合わせもクレームも一件もないまま月が変わる。検査の合格率という数字より、その静けさのほうがずっと誇らしい。何も言われないのが、いちばんのお礼だと思っています。
少しでも迷ったら、お客様にもう一度確認する。手間を惜しんで通すより、聞いて確かめるほうが結局は早い。検査の記録写真も、誰かに見せるためではなく自分のために必ず残します。積み上げてきた写真の束が、判断に迷ったときの拠りどころになっています。
木材1本の反りを、
見逃さない。
8トンある半導体製造装置を、急ぎで「今日中に積みたい」と言われたことがあります。普通なら断る話ですが、朝いちで図面を引き直して、現場の四人と段取りを詰め、夕方6時の港搬入にぎりぎり間に合わせました。決め手は、輸送中にコンテナがどう揺れるかを先に頭の中で動かして、木枠の起こし方を変えたこと。荷物は喋らないので、こちらが想像してやるしかないんです。
据付先から「Perfect packing」と、たった一行だけ返ってきたことがあります。長い感謝の言葉より、その一言のほうが効きました。何千キロも先で箱を開けた人の、ほっとした顔がふっと浮かんで。あれは忘れられません。
荷重計算は、パソコンだけでなく必ず紙にも書きます。手を動かすと、画面では見落とす自分の思い込みに気づくんです。あとは木材ですね。その日に入った材でも、反りが気になるものは一本でも使わない。「これくらいなら」を一度許すと、現場全体が緩む。だから戻します。
在庫が合っている、
を当たり前にする。
在庫管理システムのロケーション番号が、20品目もずれていると終業間際に分かった日があります。翌日の出荷に必ず響く。誰かが「明日でいいよ」と言えば、その晩は帰れたはずです。でも、誰一人言わなかった。課のみんなで現品を一つずつ数え直して、夜11時にようやく帳簿と合わせ込みました。あの一晩は、仲間の顔ぶれごと覚えています。
月末の棚卸しで、何の波風もなく「在庫、合ってます」と報告できたとき。地味ですよね。でも、ここが揃っているから、営業は安心して「在庫あります」とお客様に言える。表に出ない土台を守っている、という自負はあります。
指差し声出しを、形だけにしないことです。ラベルの数字を、面倒でも声に出して読む。眠い朝でも、底冷えする倉庫でも、ここだけは省きません。事故を防ぐ特別なコツなんてなくて、結局はこの当たり前を毎日続けられるかどうか。それに尽きると思っています。
チーム一丸となって、顧客に満足いただける仕事をする。
— 拠点も世代も違う、3人の「同じ温度のつくり方」。
制度は、あなたの
味方ですよ。
入社と退社が一度に重なった時期に、給与も社会保険も退職金の手続きも、関係部署で手分けして乗り切ったことがあります。一人では到底さばけない量でした。地道な仕事ですが、健康診断の受診率は3年続けて全員100%。「自分のことを、会社の誰かがちゃんと見てくれている」——それが社員に伝わったなら、裏方冥利に尽きます。
特別なことはしていなくて、朝の挨拶を欠かさないだけです。ただ、元気のなさそうな人を見かけたら、いきなり「どうしたの」とは聞かず、まずお茶を一杯そっと置いておく。話すかどうか、いつ話すかは、本人に決めてもらう。きっかけだけ用意して、あとは待つ。それくらいがちょうどいいんです。
人事は外に出る機会こそ少ないのですが、来客の応対では「うちの制度は、社員の味方です」と胸を張って言える状態にしておきたい。会社が信頼できるかどうかは、案外、玄関での迎え方から伝わってしまうものですから。
雪国だからこそ、
お互いさま。
ある真冬の朝、配送トラックが雪で立ち往生してしまったことがあります。営業所の全員が交代で現場に向かい、雪をかき、車を押し、なんとか動かしました。結局その日、お客様への納期遅れは一件も出さなかった。トラブルが起きなかったことより、起きたときの立ち直りの早さで信用してもらえた——そんな冬でした。
うちは人数が少ない所帯です。だからこそ、朝礼では一人ひとりの声を必ず聞くようにしています。「お互いさま」という言葉は、放っておくとすぐ口先だけになる。それを形骸化させないように見ていること。私の役目は、結局そこだと思っています。
工場に入る前に、足元を見直します。雪国ですから、靴には泥も雪も付く。玄関に上がる前にきちんと拭く。これは社の決まりだからやっているのではなくて、この土地で育った人間なら身体に染みついている、当たり前の礼儀なんです。
点呼で「昨日のあれ
よかった」を、1つ。
アパレル系のお客様が繁忙期に入ったタイミングで、ちょうど新人ドライバーが3人入ってきたことがありました。普通なら一番ヒヤッとする組み合わせです。そこで運行を全部ベテランと新人のペアに組み直した。結果は無事故、遅延ゼロ。よく頑張ったのは新人——ではなく、自分のハンドルを握りながら後輩まで見ていた、ベテラン側の踏ん張りだったと思っています。
朝の点呼で、「昨日のあれ、よかったよ」を必ず一つ伝えるようにしています。注意ばかりだと、人は身体が動かなくなる。誰かの良かったところなんて、ちゃんと見ていれば毎日必ず一つは見つかるものです。見つけられないのは、こちらが見ていない証拠だと思っています。
雨の日に、荷物を濡らさないのは当たり前。私がそれ以上に気をつけているのは、お客様の駐車場に自分の足跡や汚れを残さないことです。次にそこを使う人がいる。その人が気持ちよく使えるかどうかまで想像する。荷物を運ぶ仕事って、本当はそこまで含めての仕事だと思うんです。
常に技術を磨き、新しい知識を吸収して最良のサービスを提供する。
— DX、緩衝材設計、システム運用。前に進む3つの方法。
マニュアルを、
疑う。
配属された頃は、社内システムに触れるのも正直こわかったんです。壊したらどうしよう、と。それでも数字を手で集計し直す残業を見ているうちに、これは何とかしたいと思って、SQLを独学で覚えました。少しずつダッシュボードを自前で組んでいって、いまは月次の経営会議に出る数字の大半が、ボタン一つで揃います。怖さが、面白さに変わった瞬間がありました。
AIをどう実務に組み込むか、です。資料を探す、過去の事例を引く、判断材料を揃える——そうした時間を圧縮して、現場の人が「考えること」に集中できる状態を作りたい。技術を一部の人だけのものにせず、誰でも使える形にして渡すところまでが、自分の仕事だと思っています。
「マニュアルを疑っていい」ということ。書いてある通りでも、現場が困っているなら直していい。これは入った頃に先輩から言われて、いちばん救われた言葉でした。今度は自分が、後から来る人に同じことを伝えたいです。
素材の手触りが、
設計に出る。
精密機器を守る緩衝設計ですね。発泡素材の硬さを何種類か組み合わせて、振動や落下の衝撃を逃がす。若い頃は何度も試作して、落として、また直しての繰り返しでした。いまは仕様書を見た瞬間に、頭の中で中身がどう揺れるかが動く。図面を引く前から、もう完成形が見えているような感覚があります。
環境に配慮した素材の検証です。お客様の求めるものが、ここ数年ではっきり変わってきました。「守れればいい」から「守れて、なおかつ環境にやさしく」へ。その変化の少し先を読んで、聞かれる前に提案を出せるようにしておきたいんです。
図面を描く前に、必ず素材を手で触ること。画面の数値だけでは分からない硬さや粘りが、指先には伝わってくる。そしてその感触は、不思議と設計に出るんです。パソコンの中だけで仕事を完結させない——これだけは、後輩にも譲りたくないですね。
ログは、消されない
場所に残す。
基幹システムを、業務を止めずに夜間で入れ替えたことです。失敗すれば翌朝の出荷が全部止まる。だからリハーサルを三度繰り返して、想定外の手順まで身体に入れてから本番に臨みました。当日は予定どおり3時間で完了し、翌朝の出荷は一件も止めずに済んだ。本番で落ち着いていられたのは、結局あの三度のリハの数だったと、後から実感しました。
クラウド化と、新しいセキュリティの考え方です。これまでのITは「守り」が中心でしたが、もっと攻めの足場に組み替えたい。とはいえ、ガチガチに固めて現場の動きが遅くなったら本末転倒。安全と速さ、その両立が理想で、いまそこに頭を使っています。
ログは消さない、しかも消せない場所に残しておくこと。トラブルが起きたとき、原因にたどり着けるかどうかは、ほぼここで決まります。地味ですが、新人にはまずこれを教えます。派手な技術より先に、足跡を残す習慣を持ってほしいので。
コミュニケーションを取り、個々の総和以上の成果を上げる。
— 言葉と立場の違いを越える、3人の「対話の作法」。
提案より、
理解が先。
海外のお客様と、コンテナの仕様で真っ向からぶつかったことがあります。こちらは安全を優先、先方はコストを優先。メールの往復では平行線でした。それで現地の工場まで足を運んで、図面を前に並んで描き直した。すると、お互いの「ここだけは譲れない一点」が見えてきたんです。そこを軸に組み直したら、コストは当初想定より2割下がって、しかも安全性はむしろ上がった。会って、同じ紙を見たから出た答えでした。
通訳をはさむ会議でも、相手の目を見て話します。同じ単語でも、育った文化が違えば受け取り方が変わる。だから必ず「つまり、こういうことですね」と自分の言葉で言い直して、合っているか確かめる。このひと手間だけで、後からの行き違いが半分は消えるんです。
「弊社はこうしていますが、御社ではいかがですか」。提案を切り出す前に、まず相手に問いを返す。こちらの正解を押しつけるのではなく、相手の事情を先に教えてもらう。提案より、理解が先。これがナガシマの営業の流儀だと、勝手に自負しています。
結論を、急がない。
繁忙期の臨時シフトで、若手とベテランのオペレーターがぶつかったことがありました。やり方をめぐる対立です。まずは二人を別々に呼んで、それぞれに「本当は何を実現したいのか」を聞いてみた。すると、目指している先は同じだと分かったんです。あとは運用ルールを三人で一緒に書き直すだけでした。翌月から残業が2割以上減って、二人の関係もすっかり変わった。対立の中身は、たいてい目的ではなく手順なんですよね。
結論を急がないことです。「で、どう思う?」を、私はたいてい三回くりかえします。一回目は建前が返ってくる。二回目はまだ遠慮がある。三回目あたりで、ようやく本音がぽろっと出る。長年やってきて掴んだ、私なりの経験則です。
「おっしゃる通りです。その上で、こちらから一点だけ」。まず受け止めてから、自分の話をする。頭ごなしに否定すると、相手は途端に口数が減ってしまう。そうなると、本当に聞きたかったことまで引き出せなくなるんです。
「いま分かる範囲で」が、
信頼を作る。
ある拠点で、本社の方針と現場のやり方がかみ合っていない時期がありました。どちらも正しいのに、情報が分かれていたせいで擦れ違っていた。そこで両方の言い分を一度持ち寄って、毎週やりとりの記録を全員が見られる場所に流すようにした。たったそれだけで、3ヶ月後には問い合わせが半分に減りました。情報が一本につながった瞬間、職場の空気まで変わったのが印象的でした。
相手が話している間は、メモを取る手を一度止めます。書くことに気を取られると、聴くのがおろそかになるので。聴くことに集中する。それで後から思い出せないようなことは、結局そこまで大事な話ではなかった、ということなんです。
「持ち帰って検討します」で終わらせないこと。代わりに「いま分かる範囲ではこうです。確定は1営業日ください」と、その場で言える部分だけでも先に出す。全部を持ち帰るより、半分でもその場で答えるほうが、信頼はずっと積み上がっていきます。
共に成長し、企業価値・サービス品質を高める。
— 名古屋・仙台・グループ会社から、次の100年への3声。
良い梱包は、荷主の
生産ラインの一部だ。
自動車部品の輸出梱包を長くやってきました。最近は、海外の組立工場で箱を開けた瞬間の写真を集めて、現場の勉強会を続けています。きれいに開いて、すぐ組立に流せる状態かどうか。それを見ていると、「良い梱包は、お客様の生産ラインの一部なんだ」とつくづく思う。当たり前のようでいて、これを心から言えるまでに30年かかりました。
この事業所の輸出梱包を、「ここのやり方が世界の手本だ」と言ってもらえる水準まで持っていきたい。自分一代で完結する話ではありません。後輩たちに、胸を張って引き継げる仕事を残すこと。それが、会社へのいちばんの恩返しだと思っています。
図面の電子化をやり切りました。長らく紙とエクセルでしたが、いまは全員が同じ図面をクラウドで見られる。ベテランも若手も、同じ一枚を前に議論できるようになった。たったそれだけのことなのに、現場の動く速さがまるで変わりました。情報が揃うと、人は迷わなくなるんですね。
災害対応のノウハウは、
仙台が一番にする。
東北の食品メーカーへの新規開拓を任されました。最初の一年は飛び込みの連続で、7社に提案して採用は3社。決め手になったのは、地震対策まで考えた包装の提案でした。土地柄、防災は他人事ではない。そこに本気で向き合う姿勢が伝わったとき、「この拠点が、ようやく会社の数字に貢献できた」と肩の荷が少し下りた気がしました。
この拠点を、東北エリアの中核に育てたいんです。とくに災害に強い包装のノウハウは、グループの中でも絶対にここが一番でいたい。震災を経験した土地で仕事をしている以上、ここだけは譲れない。意地のようなものかもしれません。
防災備蓄品の、入れ替え時期をこちらから提案する仕組みを作りました。これまで売り切りだったものが、定期的にお付き合いいただける関係に変わってきている。一度きりの取引から、長く伴走する関係へ。営業として見ている景色が、まるで違ってきました。
数字を持ち寄れば、
共通の課題が見える。
化成品の包材は、海外からの調達に時間がかかるのが長年の悩みでした。そこで在庫の持ち方そのものを見直したんです。何をどれだけ手前に置くか。結果、年間でかなりのコストを圧縮しつつ、欠品はゼロに抑えられた。派手さはありませんが、グループ全体の原価にじわりと効いてくる類の数字です。こういう地味な改善こそ、長く効くと思っています。
ナガシマグループの中で、化成品といえばここ、という専門家集団であり続けたい。当社は60年以上、この一本でやってきました。あれもこれもと手を広げるのではなく、一本の柱を太く、それでいてしなやかに。そういう会社でいたいと思っています。
毎月、グループ各社で在庫を見直す会を開いています。それぞれの数字を持ち寄ると、不思議と共通の課題が浮かび上がってくる。一社で睨んでいるだけでは見えなかった無駄が、四社ぶん並べた途端に一目で分かるんです。数字は、持ち寄ってこそ語り出す。そう実感しています。
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Episode 03 — Coming 2026
1973 – 1993
2026年6月 公開予定